世間一般では当たり前のように使われている言葉が、実は誤用だった、なんて話をよく耳にします。
言葉は自分の意志を伝える手段の一つですから、自分の思っている言葉が相手に正しく伝わることができれば問題ないと思うので、話し相手と共通認識を持つことができていれば、誤用だろうとなんだろうと基本的には問題ないと思います。
しかし、ネット上や紙面上で、不特定多数の相手に対して、自分の意思を言葉のみで伝えるライターであれば話は別です。
言葉を誤用すると、本来の意思とは違った形で相手が受け取ってしまいますし、言葉のプロとして、正しく日本語を使うべきでしょう。間違った意味で覚えている人が多い言葉であれば、あえて使わないという選択肢をとることもできます。
そこで今回はライターなら接待に知っておくべき、誤用されやすい日本語を紹介していこうと思います。
誤用だらけの例文
まずは誤用されやすい言葉をたくさん入れ込んだ例文を読んでみてください。
この例文を読んで違和感を感じることができれば、あなたは日本語の正しい意味をよく理解できています。逆に、違和感を感じることができなければ、ぜひこの記事を参考に勉強してみてください。
ちなみに、「違和感を感じる」というのも避けた方が良い表現ですね。
完全な誤用とまでは言いませんが、「馬から落馬する」「頭痛が痛い」のように、二重表現と捉えられかねません。「違和感を覚える」という方が無難でしょう。
例文
とある3月の午後。昨日までの小春日和はどこへやら、今日は朝からザーザーと雨模様です。こんな日は外で遊ぶことができないので、気が置ける友人の家を訪ねることにしました。彼はいつも斜に構えた態度で、おもむろに突拍子もないことを始めるので、周囲からは奇特な人間だと思われていますが、彼はただ破天荒なだけで、本当はいいやつだと私は知っています。ところがその日はケンカになってしまいました。詳細を話すほどのことでもないので、そこは割愛して、話のさわりだけを説明しますが、私が何か話すたびに彼は流れに掉さすのです。私は憮然として怒りましたが、彼は確信犯なのか、反省する様子がありません。それどころか姑息にも言い訳をするのです。結局話が煮詰まってしまったので、ここら辺が潮時だと思って帰宅しました。彼への評価は、周りが穿った見方をしているだけだと思っていましたが、もしかしたら私が間違っていたのかもしれません。
ムリヤリ色んな言葉を詰め込んだので、少し不自然な文章になってしまいましたが、いかがでしょうか。
違和感を覚えることはできましたか?
日本語の誤用例16パターン
それでは先ほどの文章に含まれていた間違った日本語を解説していきます。
小春日和
小春日和は、実際の春に使う言葉ではなく、秋から冬にかけての穏やかな暖かい日を指します。古い街並みや風情が京都に似ているような場所を、小京都と言ったりしますよね。同じように、春のように陽気なので、小春日和です。
ですから、3月に小春日和というのは間違いです。
雨模様
雨模様とは、実際に雨が降っている様子ではなく、今にも雨が降り出しそうな空模様のことを言います。
ですから、ザーザーと雨が降っている様子を雨模様とはいうのは間違いです。
気が置ける
気が置けるというのは、信頼できる、気を許せるという意味ではありません。むしろその真逆で、信頼できない相手に使う言葉です。
信頼できる相手には「気が置けない」が正解ですね。
斜に構える
斜に構えるというのは、物事をひねくれた態度でみるというわけではありません。
剣道の構えが語源で、むしろものごとに対して真剣に取り組むことを指す言葉です。剣道では試合前、お互いに竹刀を斜に構えますよね。
おもむろに
おもむろにというのは、突然、すばやくという意味ではありません。漢字で書くと「徐に」と書きます。
「徐」という字は「徐行」などで使いますよね。徐行はゆっくりと進むことです。
それと同じで、おもむろに、というのは「ゆっくりと」という意味です。
奇特
奇特な人間というのは、奇人変人を指す言葉ではありません。
奇特とは特別に優れているという意味なので、奇特な人とは、特別に優れ人物を指す言葉です。
破天荒
破天荒はむちゃくちゃという意味ではありません。今まで人が成し得なかった、前人未到の境地を切り開くことを言います。
破天荒ってものすごい誉め言葉なんですね。
割愛する
割愛するというのは、単に省略するという意味ではありません。惜しいと思うことを思い切って手放したり省略したりすることを言います。
なので、本当は省略したくないのに泣く泣く省かなければならないときには割愛という表現がふさわしいですが、単に省略するときには使うべきではありません。
省略します。や、省きます。という表現を使いましょう。
話のさわり
話のさわり部分とは、話の最初、序盤の部分と思われがちですが、実は違います。
話のさわりとは、話の要点、聞かせどころという意味です。
流れに掉(さお)さす
流れに掉さすとは、流れに水を差すというように、邪魔をするという意味ではありません。
棹とは舟をこぐのに使う棒のことで、流れに掉さすのは、舟を思うように進める、つまり物事がうまくいくようにするということです。
憮然とする
憮然とするというのは、怒りや不快感を表す言葉と思われがちですが、これも間違いです。
もちろん良い意味ではないのですが、失望してぼんやりする様子や、驚いて呆ける様子のことをいいます。
確信犯
確信犯は、悪いとわかっていてわざと行うことではありません。このことが正しいことだと信じて行うことです。
ここでいう「正しいこと」とは、法律的に正しいかどうかではなく、自分の道徳心や倫理観として正しいと信じて行う犯行です。
例えば有名な赤穂浪士は、自分たちが死罪になることはわかっていても、義侠心のために正しいと信じて行っているので確信犯です。
姑息
姑息というのは、卑怯という意味でとらえられがちですが、正確には「一時しのぎ、その場しのぎ」という意味です。
どちらも似たような意味ではありますが、微妙にニュアンスが違いますね。
話が煮詰まる
煮詰まるというと、なんとなく悪いイメージがあるかもしれませんが、煮詰まるというのは、完成するという意味があります。
ですから、話が煮詰まるというのは、話し合いが前に進まず止まってしまうということではなく、話し合いが上手くまとまる、という意味です。
潮時
潮時と言うと、単に終わり時、という意味ではなく、ちょうど良いタイミングという意味で使います。
なので、終わるのに良いタイミングだけでなく、始めるのに良いタイミングでも使います。
潮には満ち潮と引き潮があり、そういったタイミングを見計らうところからきています。
穿った見方
穿った見方とは、疑ってかかかるような見方、という悪い意味ではなく、物事の本質を的確にとらえた見方、という真逆の意味が正解です。
「雨だれ石を穿つ」というのは、軒先から滴る雨粒でも、いずれ石に穴をあける、というところから、小さな努力でも根気よく続ければいつか実を結ぶという意味があります。「穿つ」というのは良い意味でつかわれることが多いのですね。
まとめ
最初にも言いましたが、言葉というのは相手に自分の意思を伝えるための手段です。
日本人の多くが言葉を間違った意味で覚えていれば、むしろそちらが正しいと言えるのかもしれません。
しかし、ライターであれば、やはり言葉は正しく使うべきだと思います。
もしも正しい意味では伝わりにくいのであれば、あえてその言葉を使う必要はないでしょう。「使わない」のと「使えない」のとでは全く意味が違います。
ちなみに「全く」や「全然」のうしろには「~ない」と続くべきなので、「全然大丈夫」という表現も、避けた方が良いかもしれません。
少し話が脱線してしまいましたが、とにかくライターであれば、その言葉を使う使わないは置いておくとして、正しい意味を知っていることは大切だと思います。
もしも今回の言葉の正しい意味があまりわからなかったのであれば、もう一度勉強してみてはいかがでしょうか。